もともとカクテルは、古代ローマや古代ギリシャ、古代エジプトの時代から飲まれていたとされますが、大きく発展したのは「1920年-33年のアメリカ禁酒法時代」です。
この時代、酒が禁じられたため、禁酒法を免れるため、街ではお酒にジュースを混ぜて提供するようになりました。さらに、職を失ったバーテンダーが仕事を求めて、ヨーロッパに拡大していきました。
本記事では、カクテルの歴史についてまとめます。
ちなみに、カクテルという言葉は、1748年イギリス・ロンドンの「The Squire Recipes (ザ・スクァイア・レシピ-ズ)」という小冊子に登場し、広まっていったとされます。
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【カクテルの歴史】禁酒法時代から、日本に渡来するまで
「古代ローマ」「古代エジプト」時代
古代ローマにおいてはワインに混ぜ物をしていたとされており、カクテルの歴史は古いです。
また、古代エジプトでは、ビールにはちみつやショウガを加えて飲んでいたとされています。
「中世ヨーロッパ」
ワインやスピリッツに薬草を入れ温めて飲む「ホットドリンク」が大流行しました。
これには、冬の大寒波が発生していたことが関係しています。
製氷機の発明
1879年に、製氷機が発明されて以来、これまでは川や湖に張った氷を使用していたところが、人工的に作った氷を使うことができるようになりました。
氷がより手軽に入手できるようになったことで、シェイクやステアの技術も向上。「冷たいおいしさ」を体感できるようになりました。
カクテル渡日
日本にカクテルがやってきたのは、明治初期。
「ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」という中学時代の歴史の教科書でも見たかと思いますが、明治政府は近代化のため、積極的に西洋文化を取り入れ「欧米化」を推し進めようとしており、この過程でカクテルが渡日しました。
ただし、この頃はカクテルはまだまだ一部の人間のみしか知らない代物でした。(鹿鳴館 (東京)や横浜など、外国船が出入りする港町のホテルで提供される「特別な酒」)
大正元年、下町にバーが出店してからは、市民の間で「カクテル」という言葉も知られるようになりました。
そして、戦後1950年、「トリス・バー」という庶民的なバーが誕生し、カクテルファンは急増しました。
※ この頃(1950年代)、アメリカでは氷をシャーベット状にした「フローズン・カクテル」が流行
1970年代の海外旅行ブームなども火付け役となり、カクテルは日本に浸透していきました。
※ この頃(1970年代)、ウォッカ、ジン、ラム、テキーラなどのホワイトスピリッツのブーム「白色革命 (ホワイト・レボリューション)」が起こり、4大スピリッツをベースとしたカクテルが主流となる。